ちょうど良いので昔話でもしようか。
この手のBlogは書く方針じゃなかったんだけど。
まぁ、今日ぐらいいいよね、とか。
残念ながら第一報はTVだった
今朝、家を出る直前、居間のテレビに流れていたNHKの速報テロップで訃報を知った。
「Steve Jobsの訃報」については、今まで散々誤報が流れていたので狼少年的法則で一瞬「またか」と思ったものの、さすがに地上波のテロップしかもNHKだったので、あれっ?と思ってTwitterをみたらTLはこの話で埋まっていた。
香港の記者がすっぱぬいたっていう、あのJobsの激やせ写真をみたとき「あぁ、これはもう長くはないな」と思ったもので、正直なところ「ああ、ついにか」というのが素直な気持ちだった。
オバマ大統領はTwitterで「彼の訃報を彼のデバイスで知った云々」とpostしたそうだが、残念ながら俺は旧世代のメディアでしたとさ。
『Think Hero.』
彼のことを、たとえばファン・信者・アンチ・業界関係者、いろんな方面に配慮(笑)して、なるべく少なく見積もったとしても、「コンピュータ業界どころか家電業界までも(良くも悪くも)大きな影響を与えた人物のうちの一人」という評価に関しては、誰もが異論はないだろう。
でも、この業界でここまで評価しちゃってもいい人物はそうそういないような気がするんだが・・・。
Appleのトップページの遺影のファイル名が「t_hero.png」だった。Appleの重要なキーワードである「Think different.」に引っかけたもので「Think Hero.」なんだというのはすぐに解った。
英語圏での「hero」のもっているニュアンスはよくわからないけど、だれかの人生を変えたり、あるいは狂わせたりできるという意味では、たしかに彼は「ヒーロー」なのかもしれない。
そういう意味では俺にとっても「ヒーロー」だな。
俺が「Apple信者」をやめるきっかけになった人物だし。
寒中水泳
JobsがAppleに復帰した後、Newton部門をさっくりディスコンした。それまで「Apple信者」だった俺は「Newtonの火は消さぬ」とばかりずっとMessagePad2100を使い続け、あらたな日の目をみることを夢見ていた。
だが、最終的に子会社化されたNewton部門は消滅する。
行き場がなくなった俺は、今更ザウルスを使う気にもならず、「みんながケータイ持ってるのに君だけショルダーフォン使ってるようなモンやなw」と笑われながらもMP2100を使いつづけた。今じゃNewtonデバイスを使っている人は絶滅したようだけど、そのころは結構俺みたいな奴が多かったんだ。このエントリの見出しの『寒中水泳』ってのも、なんだかんだで日本のNewtonファンが多かったって事を表すキーワードだったりする。
詳しくは・・・まぁ調べてもらえれば。
で、俺はSharpのLinux Zaurus SL-C760とか弄り始めて、やっと吹っ切れることができた。
というより、一気に「冷めた/醒めた/覚めた」。
如何にして俺は「信者」でも「アンチ」でもなくなったのか
そりゃね、「信者」からしたら
「やっぱ教義やめるわwwwwあのドグマねーやっぱウンコじゃん?wwww」
って教団幹部に宣言されちゃぁねぇ。
一時的にApple製品を買わなくなったが、すぐにiBook(Late2001)を買った。やっぱり作りは良かったし、Linux起動して遊んだりして。
別に「信者」に戻ったわけじゃない。かといって「アンチ」でもない。おかげさまで2、3歩後ろの目線で視る癖がついた。信者とアンチが罵り合ってるの見るのたのしいれすwwww
でもiPhoneの登場にはさすがに「ふざけんな!この二枚舌め!」って思ったな、やっぱり。それがJobsの芸風だと納得するには時間がかかった。
そのぐらいNewtonのディスコンは俺にはトラウマだったんだろう。結局3GSの後期になるまで手を出さなかった。今でも「『S』無しに手を出すのはありえない。」って思ってますし。ええ。
結局、この男にひっかき回されっぱなしだったということか。
昨日発表されたiOS5の動向をみると、その昔夢見た「PDA」つまり「Personal Digital Assistant」の(だれもが忘れてしまった)本来の意図と同じ方向を向いている。実現手法はスタイラスからフィンガージェスチャー、さらには音声(SiriにNewtonの「Assist」機能を連想してしまうのは俺だけだろうか?)に変わっているものの、基本的にはその昔から対して変わっていないように見える。
究極的には、iOSはPDA(と、昔呼ばれていたもの)になるはず。NewtonをディスコンしたJobsは、「電話を再発明した」とかなんとか言いながら、結局「PDAを再発明」しようとしていた。ただ「PDA」という単語を使いたくなかっただけだろう。
だけど、それはAndroidやWindows Phoneとは違うものなんだろうか。理想はどれも対して差がないように見える。
単にやり方が違っていることと、見当違いが増幅されたときに、修正できるかできないかの差にしか見えない。ちょうど、電子手帳をPDAとして出したSHARPのような感じで・・・。
そして、その差がJobs文化なのかもしれない。
iOSを使っていて、はじめは認めたくなかったんだけど、でもやっぱりNewtonの系譜はAppleに染み着いていたと感じる。
Jobsはうまいことそれを(見えないように)取り込んでいた。あるいは、ある一本の柱はつねに変わっていないので、NewtonとiOSは連続しているように見えるのかもしれない。
Jobsの訃報を聞いて、考えた結果が、結局「Newton = PDA = iOS」かよww
なんだろう、この「なんだか知らないけどいつのまにか踊らされていた」感は。クソッ!
Appleはどうなるんだろう
さっき、俺は「Jobs文化」と書いた。「Apple文化」ではない。
昨日までの(すくなくとも俺ら一般人からは)「Apple」はつまり「Steve Jobs」と同位だった。
しかし、もう Steve Jobs は居ない。
あまりにカリスマすぎる人物の居る組織は、そのカリスマを失った瞬間、迷走する。
本田宗一郎を失ったHONDA、井深大を失ったSONY、横井軍平を失った任天堂。遅かれ早かれ、綻びがでるのは間違いないように思える。
今、Jobs文化はApple文化になったんだろうか?むしろJobsをイコンにしてしまっていないだろうか。本田宗一郎がそれを嫌ったように、おそらくJobsもそれを嫌うだろう。
俺が未だにNewtonの亡霊にとりつかれているように、必ず信者はJobsの幻を追い求めることになる。ましてや、プロダクト発表の翌日に亡くなるなんて、たとえ地上最強プロデューサー兼プレゼン無双のJobsとはいえ、あまりにも、あまりにも出来すぎちゃいねぇか!?
俺がApple社員だったらその重さに絶対に耐えられない。『あの禿!とんでもねぇ物を残して往きやがった!』とか毒づくだろうな。
はたして、Apple社は今後神格化されていくはずのJobsの幻影を断ち切ることができるのだろうか?
JobsがそれまでのAppleを断ち切ったように。