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バイク , モバイルガジェット , アウトドア用品 , 腕時計 ・・・等。

2024年 事始め

あけましておめでとうございます
本年もよろしくおねがいいたします

一応ね。

まぁ・・・

「おめでとうございます」などと冒頭には書いたものの、やはりそんな気分になれないのが正直なところ。地震発生当時は実家で呑気にパジェロミニを弄っていたところ(元旦からそんなことやってるのもどうかと思うが)で、それをここの年始一発目の記事に起こすつもりだったが、そうもいってられなくなってしまった。

自分が帰省していた岐阜の実家では震度4程度だったし、自分の親戚(北陸側)やら友人関係も同様な感じで、そのおかげなのか1大きな被害を受けた人たちがいないことは判明したのでその点は良かったが、かといってなんというか、なんとも言えない。

2024年1月1日から(現在でも続く)地震は、気象庁により『令和6年能登半島地震命名されたが、これはもう2024年という年について最も印象に残るできことだということが確定してしまったようなものだ。控えめに表現しても最悪な新年のスタートといって差し支えないだろう。

『備え』の年

今、自分が言えることは多くないが、ただ1つだけ言える間違いないことは、

人類の都合だの行事だのおかまいなく、いつ何時でも、自然は猛威をふるう

当たり前の話だけど、それをいやおうなしに再認識せざるを得ない。

この項題の『備えの年』というのは完全に今思いついた抱負めいた文言ですw
本来であれば「備え」というのは常日頃から行っていなければ「備え」ではない。しかしいくらそれを気に掛けていたとしても、「やらなきゃ」と一時的に無理をしてやったところでそれはどうしても時とともに風化し「備え疲れ」につながり兼ねないし、今回「実家に帰省していた」などのように、通常の生活エリア外で使えなければ意味が無い。
肝になるのは

  • 無理なく続けられる=備えを生活に組み込む、あたりまえのものにする
  • 局所的な場所に依存しない=備えを偏在させる、あるいは場所ではなく“自分”に行う

ということなのではないかと思う。
まず、金銭的資源・時間的資源に無理を強いる対策は続かず、見て見ぬふりを招きがちになる。そして「自分の生活エリア・生活サイクル」の中で可能な対策というのは取りやすいが、そこから一時的にでも離れた場合の対策というところまでくるとなかなか考えが及びにくいし、これらを考えたとしてもどうしても後回しになりがちで、すぐに実施できるものではない。無理せず一気にやろうとせず、年スパンで少しづつ広げていく。
しかし、ちょっと考えてみたところ自分が「趣味の一部」として今まで行ってきた防災資源の中には、その原資となるものはすでにあると考えている。

obally.hatenablog.com

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もともとが趣味の一部として考えを広げている物なので、軸足が完全に「バイク」「車」「ガジェット」「キャンプ」辺りになってしまうが、基本スタンスはこれで大きく間違っていないだろう。『趣味の一部に組み込む』というのは『無理なく続ける』に繋がる。世間的な話で行けば、最近下火になってきたとはいえ直近までのキャンプや車中泊ブーム、もっとコアなところでジビエ・狩猟・ブッシュクラフトといったマイクロブームを遡れば、そこには東日本大震災が火種としてあったと思える。やはり趣味の一部として楽しみながら組み込んでいくのが無理がないのだろう。無理してハードルを上げてしまえば下火になったブームと同じ道をたどる。

2024年の抱負的なモノ

先に『備えの年』とか抱負めいたものを書いたうえに、さらにまた「抱負的なモノ」とは一体なんなのか。

まとめてしまうと「今年も自分の趣味続けます」という結論になってしまった。

結局毎年大して変わらん、ということでこの記事を締めたいと思います。


  1. 新潟の親戚宅では子供(つまり俺のいとこ)達が帰省していたのもあって、素早く準備・避難行動できていたようだ。もちろん日頃の備えを怠っていなかったのもあるだろうが、被災時に冷静に思考でき、行動できる瞬発力のある身近な人間が近くに居るというのは、叔父叔母にとってかなり心強かったのではないだろうか。